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でも、カテゴリー分類するための特徴がなければ? まったく区別のつかないものをどのカテゴリーに分類すべきかは、どうやってわかるの? その場合、カテゴリーに基づいて云々という議論自体が無意味となる。
人間の解像度では区別のつかないレプリカの話は、だからカテゴリーを持ちだしても解消できない。カテゴリー識別ができない、ということなんだから。物理的にまったく区別がつかないけど、そのカテゴリー分類だけはわかる――これがあり得るのは、なんかあらかじめ解説書かレッテルでその情報が別にインプットされていた場合だ。が、その解説書やレッテルの正しさはどうやって担保されるの?
自分の所属する組織が、明らかに(自分から見て)変な方向に進んでいくときの力学も、いまではずっとよくわかるし、その中で少数派の意見を堅持するむずかしさもわかる。そしてそれにしがみつくことで発言力を失うのと、「戦略的撤退」をして発言力は維持しつつ自分の意見を少しでも通す機会をうかがうのとどっちがいいか、という選択の苦しさもわかる。歴史は結果しかみない。スティーブ・ジョブスは、いま死んだからこそ「信念と理想を貫き云々」と言ってもらえる。でも製品の調子が悪いときだったら「己の思い込みにこだわりすぎて柔軟性を失い云々」と罵倒されたことだろう。
むろんだからといって、ここに描かれた人たちがきわめて優秀でありながら(いやそのために)とてつもなく愚かだったということを否定するものではない。そしておそらく、本書の記述を信じる限りでは軍のタカ派将軍数名とその手下の事なかれ主義イエスマンたちは、ベトナム戦争突入と深刻化の甲級戦犯なんだが、それ以外の政府がなぜそれを止められなかったのか……そして本書は、「もしXXだったら」というのをなかなか許してくれない。あそこでマクナマラがこうだったら、こっちでラスクがああすれば――でも、そこで出自や経歴をたんねんに追う本書の手法が効いてくる。かれらがそういう地位にそもそもたどりつけたのは、かれらが「こう」ではなかったからで「ああ」しない人物だったから、なのだ。